皇太子殿下駐駕之處・行啓記念碑・御茶屋臺場址
皇太子殿下駐駕之處・行啓記念碑・御茶屋臺場址

皇太子殿下駐駕之處・行啓記念碑・御茶屋臺場址

皇太子殿下駐駕之處(こうたいしでんかちゅうがのところ)・行啓記念碑・御茶屋臺場址

皇太子殿下駐駕之處(こうたいしでんかちゅうがのところ)この石碑は前田砲台跡の上にある中国電力の寮の中庭にあります。寮のまわりは空き地になっていますが、看板等を見ると、このあたりは中国電力の土地のようです。寮の中に声をかけたのですが、誰もでてこられなかったので無断で悪いとは思ったのですが、中庭に入ってみました。門や鍵などはなくて出入りは自由にできますね。

 

皇太子殿下駐駕之處(こうたいしでんかちゅうがのところ)・行啓記念碑・御茶屋臺場址

中庭の目の前には関門海峡、壇ノ浦が広がっています。この景色はとてもすばらしいですね。これだと海の四国連合艦隊を砲撃したのも納得です。「皇太子殿下駐駕之處」の石碑は大正15年、後の昭和天皇が皇太子の時ここに来られたことを記念して建てられたものです。

 

皇太子殿下駐駕之處(こうたいしでんかちゅうがのところ)・行啓記念碑・御茶屋臺場址

皇太子殿下駐駕之處の石碑を見て前田砲台跡に戻る途中の国道9号線沿いに行啓記念碑・御茶屋臺場址の碑があります。行啓記念碑も皇太子様が同じ時に前田台場跡を訪れたことを記念して建てられたものです。

 

皇太子殿下駐駕之處(こうたいしでんかちゅうがのところ)・行啓記念碑・御茶屋臺場址

前田台場(砲台)は長州藩が口火を切った馬関 攘夷戦の重要な拠点であっただけに文久3年6月5日 元治元年6月5、6日二度の外艦砲撃をうけ占領、破壊された。馬関攘夷戦の烽火とともに長州藩が討伐えの苦難の道を辿ったことを思うと前田台場は、明治維新発祥の記念すべき史跡であるが、その陰には、台場とともに焼き払われた前田村民家23戸の、痛ましい犠牲があった。郷土の文化財を守る会(現地の手書きの説明文による)

では。

(撮影日2008.12.24)


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