長崎街道小屋瀬宿 その4長徳寺から道をこえて船庄屋跡あたり
長崎街道小屋瀬宿 その4長徳寺から道をこえて船庄屋跡あたり

長崎街道小屋瀬宿 その4長徳寺から道をこえて船庄屋跡あたり

長崎街道小屋瀬宿

みちの郷土史料館まで戻ってきました。ここからくの字に折れて街道は南へ続きます。少し歩くと見えてくるのが浄土宗長徳寺の看板。

 

かつて筑前六宿と呼ばれていた、黒崎、木屋瀬、飯塚、内野、山家、原田。これらの宿場は人通りも多く、活気のある宿でした。街道に残る史跡それぞれの趣が昔の旅へと誘います。(筑前六宿案内本)

 

長崎街道小屋瀬宿

路地を長徳寺の方に入ってみます。ちょうどプロパンガスのトラックが止まっていて、正面が塞がれていたので、この角度で写真を撮りました。

 

長崎街道小屋瀬宿

山門横。この石碑は晋山式記念。「晋山式(しんざん しき)とは、寺院に新たな住職が就任する際の儀式を言う」とウィキペディアにありました。昭和57年4月と刻んでありました。

 

長崎街道小屋瀬宿

これが本殿。

 

長崎街道小屋瀬宿

街道に戻って先へ向かいます。みちの郷土史料館で教えてもらったことなのですが、この家の犬走りの部分を見ると先細りの三角形になっています。これは家が街道と直角に建てられてないということです。

裏通りのない一本道は本陣付近で「く」の時、鉤形に曲がり、家並みはノコギリ歯状に建てられていました。これは「矢止め」と呼ばれ、敵が攻めてきた時にそのくぼみに隠れたり不意をついて攻撃したりするために配慮されたものと言われています。(筑前六宿案内本)

 

長崎街道小屋瀬宿

県道280号線。この信号の向こうは橋になっていて、遠賀川を渡ります。革の向こうは直方市。

 

長崎街道小屋瀬宿

街道はさらに南へ向かっています。このあたりは新町。右に見えてくるのが船庄屋跡。(梅本家)

 

長崎街道小屋瀬宿

江戸時代、木屋瀬には年貢米の集積場である本場(来場)が置かれ、その輸送は権利を持った24艘の川ひらた(川身)に限られていた。この24艘の管理が船庄屋の仕事である。(現地の説明板)

 

長崎街道小屋瀬宿

右の入り口はサッシで現代風で生活感があります。

 

長崎街道小屋瀬宿

上の方。

 

長崎街道小屋瀬宿

反対側にあった家の門。これは立派。

 

長崎街道小屋瀬宿

愛宕山護国院。

 

長崎街道小屋瀬宿

赤いべべを着たお地蔵さんがいました。火災病難に霊験あらたかだそうです。

続きます。