高泊神社のまわりには広く田が広がっています。遠くから見ると神社のまわりには木が生い茂っていて小さな森に見えますね。一の鳥居から田んぼの中を一直線に参道が続いています。
神功皇后が三韓征伐の時に湾内にあった孤島に立ち寄り「日は高いが泊らうか」と言ったところからついた名前だそうです。当時このあたりは海でここが島だったみたいですね。
手水舎。
寛文8年(1668年)完成した高泊開作の経過を萩藩当職毛利就方の要請に基づき柳井三之允の口述を岡九郎右衛門が筆記、土方傳右衛門が縁起風にまとめたもので、同12年に正副2巻を作成し、正本を竜神堂(高泊神社)に、副本を社家に納めた。(現地の説明板にによる)
拝殿手前左右に、子持ちの狛犬が2対あります。
「高泊御開作神田記」は市指定文化財になっているそうです。
では。
(撮影日2008.12.03,12.07)