常関寺十六羅漢
常関寺十六羅漢

常関寺十六羅漢

常関寺十六羅漢

常関寺山門。

 

常関寺十六羅漢

寛永五年(一六二八)領主、山内大隅守広通が建立し、長府功山寺第三世、三庭和尚を迎え開山とし、電光禅院と称したが、万治元年(一六五八)山内縫殿就通のとき寺号を常関寺と改め、さらに享保十五年(一七二〇)山内縫殿就通が山号を名月山と改めた。(現地の説明板による)

本堂右の鐘楼の横を通って後ろに回ります。

 

常関寺十六羅漢

手前に樹録羅漢の配置図があります。

 

常関寺十六羅漢

十六羅漢です。
この十六羅漢は、享保17年(1722)の豪雨とイナゴの大発生による飢饉で餓死した者への、亡魂追善供養のため奉納されたものです。真中に釈迦如来、左に普賢菩薩、右に文殊菩薩、そのまわりに十六羅漢が配置されています。

 

常関寺十六羅漢

カメラに入り切らないので奥から。

 

常関寺十六羅漢

奇兵隊史跡 常関寺
奇兵隊の野戦病院。慶応二年(一八六六)幕府群との戦いを前に、野戦病院が必要となり、山口、周東高森、吉田の三ヶ所に、萩藩直轄の病院がおかれることとなった。吉田では常関寺が病院に定められ小倉口の戦いで負傷した奇兵隊士が収容された。藩から派遣された侍医の李家文厚が指揮し、手術治療も施こしたという。境内には堀滝太郎(従五位)ら隊士六名の墓碑がある。いずれも小倉戦争で負傷し、当地で落命した者たちだ。(現地の説明板による)

では。

(撮影日2009.0117)


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