古代、朝廷の命令で朝鮮半島の任那(みまな)、百済(くだら)の救援に派遣された青年武将大伴狭手彦(おおとものさでひこ)は、停泊地である松浦の地で土地の長者の娘「佐用姫」と恋に落ちます。
やがて出帆の時が来て、別離の悲しみに耐えかねた佐用姫は鏡山に駆け登り、軍船にむかって身にまとっていた領巾(ひれ)を打振りました。
それでも名残はつきず、佐用姫は鏡山から飛び降り、呼子加部島(よぶこかべしま)まで追いすがったものの、すでに船の姿はなく、悲しみのあまり七日七晩泣き続け、ついに石に化したというものです。
この物語は、万葉の歌人たちにも数多く詠まれるものとなり、以後詩歌や能などの文学や演劇の題材にもなりました。
鏡山はこの故事から「領巾振山(ひれふりやま)」と呼ばれるようになったといいます。
念願の活きイカを食べた後は、呼子大橋をわたって松浦佐用姫伝説の地、加部島へ。佐用姫は2015年に立ち寄った道の駅厳木(きゅうらぎ)で大きな佐用姫像を見て初めて知りました。
内田康夫の浅見光彦シリーズに「佐用姫伝説殺人事件」があって、テレビドラマにもなっていたようです。(1996年フジテレビ、2006年TBS)
積読状態(備蓄です)だった本を読んでから感想と一緒に、エントリーを書こうと思っていたのですが、残念ながら読めませんでした。年に一度の早川書房の電子書籍のバーゲンがあって、そちらで備蓄を増やしてましたからね。今、サラ・パレツキーのV・I・ウォーショースキーシリーズを読んでいます。
呼子港から呼子大橋までの道はちょっと複雑で、ナビがないと迷うと思います。風の見える丘公園は加部島の中では南側の端に近いところですね。これは駐車場に設置してある案内板です。
建物を目指して坂を登ります。手前に領巾を振っている松浦佐用姫像。鏡山の頂上には松浦佐用姫の像があるということでしたが、それとは別物です。像の形も少し違っているようです。
今渡ってきた呼子大橋
左の方に河太郎のある呼子港。
案内板は方位磁石のように丸くなっています。定休日で行けなかったのですが玄海原子力発電所、名護屋城博物館もすぐ近くです。
北側です。わたしたち以外にも観光客が2組ほど来てました。
右が小川島で左が加唐島ですかね。
公園の駐車場のすぐ横にカフェ日和山というお店がありました。
実は間違えてこちらの駐車場に車を止めてて、展望台まで行きました。お店の方は何も言われなかったのですが、なにか買おうと思って、傷ありと書かれていたさつま芋を買いました。
ボードのメニューを見ると、おすすめで「米粉の芋がえ餅」とか一番人気で「甘夏ジュースインシャーベット」、それら以外でも甘夏のメニューがいろいろとあって、今思うと、甘夏ジュースを変えばよかったかな、と思います。
続きます。