山口市指定史跡の「椎の木峠トンネル」です。
一八五一(嘉永四)年、上郷の庄屋だった林勇三が、仁保津段丘の山林や畑を水田にするため、この椎の木峠に掘った灌漑用トンネル。全長六六メートル。椹野川氾濫の被害をうけない段丘場の新田開発は、当時これ以上ない地域振興であった。(現地の説明版による)
勇三は綿密な調査の後、小野田有帆の石炭坑夫を使い出口側から掘り始めたが、十四メートルのところで末風化の硬い岩に当たり、一日に六メートルしか進めなくなった。そこで硬い岩を掘る技術をもつ蔵目喜鉱山の彫師に掘らせた。のち大庄屋となった勇三の用水・治水事業の原点であるこのトンネルは、五ヵ月半で完成した。上方に作業・換気坑道をもつ尺八工法が特徴であり、入り口と出口の高低差が三二センチメートルしかないことも技術の高さを示している。上流の谷に三つの溜池が増築され、トンネルの用水で約一〇ヘクタールの新田が造られた。藩主記念の記念碑が北側にある、明治時代、溜池からの長い水路を短縮するため、入り口のすぐ北に、追加のトンネルが掘られた。(現地の説明板による)
県立農業高校の横の狭い道の奧50メートルのところにあります。入り口に説明板がたてられています。
都会の隅っこにある下水構のような感じです。こんなに小さなトンネルであっても当時は大変工事だったのでしょうね。
では。
(撮影日2009.03.08)