功山寺仏殿
桁行三間 梁間三間 一重裳階(もこし)入母屋造 桧皮葺
指定年月日 昭和二十八年十一月十四日
鎌倉時代末期の唐様(禅宗様)建築様式の典型的な建造物です。
床は四半瓦敷、礎石と柱の間に木製の礎板を入れ柱は上下部分が細く粽型になっています。見事な曲線を見せる桧皮葺、入母屋造りの屋根を支えている化粧垂木は天井中央より放射状に配置され、扇垂木とも呼ばれています。また、二重屋根の内部の組み上がりの高さが異なった箇所を補うために海老虹梁(梁と同意)が用いられています。さらに前面両角には釣鐘型の特徴をもった花頭窓を有するなど、わが国最古の禅寺様式がよく残されており、鎌倉の円覚寺舎利殿同様、寺院建築史上、貴重な建造物です。この仏殿は、内陣柱上部に「此堂元應二年卯月五日柱立」の墨書があることから、西暦一三二〇年に建てられたものとみられています。 功山寺はもと臨済宗・長福寺と呼ばれていましたが、毛利秀元により曹洞宗・笑山寺と改称、さらに慶安三年(一六五〇)秀元の没後、戒名(功山玄誉大居士)をもって功山寺と改称しています。(現地の説明板による)
では。
(撮影日2009.04.09)