松本清張文学碑・高浜虚子歌碑(和布刈神社)
和布刈神社の拝殿の前を通り過ぎ、海峡沿いにぐるりとまわるとに早鞆稲荷の朱の鳥居と並んで高浜虚子の句碑と松本清張の文学碑があります。 夏潮の今退 平家亡ぶ時も 高浜虚子が昭和16年6月1日訪れて詠んだ歌です …
和布刈神社の拝殿の前を通り過ぎ、海峡沿いにぐるりとまわるとに早鞆稲荷の朱の鳥居と並んで高浜虚子の句碑と松本清張の文学碑があります。 夏潮の今退 平家亡ぶ時も 高浜虚子が昭和16年6月1日訪れて詠んだ歌です …
はつ夏の 山のなかなるふる寺の 古塔のもとに 立てる旅人 この歌は明治四十年六月牧水が二十一才のとき、東京から郷里の宮崎県に帰省の途中、この山口の五重塔を訪れて詠んだものである。(抄。現地の説明板による) …
司馬遼太郎文学碑の右横にあります。 右隅に見えている階段の左右には奇兵隊および諸隊士の顕彰墓地があり、上には聖観世音菩薩像があります。 奇兵隊を創設した高杉晋作が慶応元年(一八六五)八月、下関 …
高杉晋作の墓がある清水山へ登る階段脇、曲水の梅苑の横にあります。 高杉晋作や奇兵隊を支援した下関竹崎の勤王商人白石正一郎は、多くの和歌を残した歌人でもあった。 その中から梅林にちなみ 白たへににほへる梅の花 …
東行庵にある無隣庵の歌碑です。 山縣狂介(有朋)は奇兵隊の軍監としてこの地にかりの住まいをつくり となりなき世をかくれ家のうれしきは 月と虫とにあひやとりして と詠み「無隣庵」と名付けて心のやすらぎの地とし …