数方庭の大幟の竹(忌宮神社)
毎年夏に行われる数方庭に使われる竹です。これだけじゃとうてい足りないと思うので、保存してあるのほんの一部で、毎年新しい竹を使うのでしょう。 数方庭は天下の奇祭と呼ばれ、毎年8月7日~8月13日の7日間、夜7 …
毎年夏に行われる数方庭に使われる竹です。これだけじゃとうてい足りないと思うので、保存してあるのほんの一部で、毎年新しい竹を使うのでしょう。 数方庭は天下の奇祭と呼ばれ、毎年8月7日~8月13日の7日間、夜7 …
忌宮神社の末社。八坂神社です。八坂神社はあちこちにありますね。Wikipediaによると「八坂神社(やさかじんじゃ)は、素戔嗚尊(牛頭天王)を祭神とする祇園信仰の神社。 日本各地に多数ある。八阪神社と書く神 …
忌宮神社の境内の相撲資料館。鳥居前通り側からの参道を登ると右手の奥にあります。 正確に言うと三日相撲放駒部屋相撲資料館。 山口県出身の放駒親方(元大関・魁傑)は、荒熊稲荷神社の祭礼「三日相撲」 …
忌宮神社の末社。 荒熊稲荷神社由緒 文化・文政年間、長府藩十一代藩主毛利元義公が江戸参勤交代の帰途、京都の伏見稲荷大社に詣でて御分霊を勧請し、産業の繁栄を祈願した。嘉永元年(一八四八)に現在地に遷して社殿を …
忌宮神社の裏手にあります。 今から約千八百年前のむかし中国より秦の始皇十一世の子孫功満王(こまおう)が来朝帰化しここ豊浦宮にご滞在の仲哀天皇に蚕種(カイコの卵)を献上したのが、わが国養蚕の始まりと伝えられる …
古事記・日本書紀によれば、第十四代仲哀天皇は九州熊襲征討のためご西下になられ、ここの仮の皇居「豊浦宮(とよらのみや)」を興して七年間ご滞在になられて甚神功皇后と共にそのご準備を進められた。古くよりこの地は、九州にほど近い …
忌宮神社境内裏にある集童場場長室。 この集童場場長室はもともと古江小路にあったものを、昭和三年(一九二八)に所有者伊藤氏から寄贈を受けて移築保存したものです。集童場は私塾でいわば長府の松下村塾です。 &nb …