龍馬の死後、下関に滞在していたお龍は、一時期、桜山招魂社(招魂場)運営のために設けられた「あけぼの」という茶屋で、橙の実を短銃で撃ったり、一晩中飲み明かしたりして過ごしたといいます。この間、お龍は桜山招魂場に祀られた人々への想いを詠んでいます。「武士(もののふ)の かばねはこゝに 桜山 花は散れども 名こそ止(とど)むれ」(説明文による)
招魂場。真ん中が吉田松陰。右に高杉晋作
招魂場には全部で396柱の志士が祀られています。
(実際には391柱らしい。せいあの目 : 桜山招魂社(桜山神社))
案内板。
招魂社の落成式で高杉晋作の詠んだ歌。
では。