旧高崎家で20分ばかり時間をとったのでこの村庄屋跡に来るのに30分かかりました。歩いた距離は大したことないです。
正面から。ここは外から眺めるだけです。
村庄屋跡(松尾家)
木屋瀬には村庄屋、宿庄屋、船庄屋の三庄屋が置かれ、村庄屋は村全体を統括した。松尾家は屋号を灰屋と称し、問屋役・人馬支配役、村庄屋などを務めた。(現地の説明板による)
ここから引き返します。東溝口跡にも行きませんでしたが、こちらの西溝口跡も行きませんでした。
県道のすぐ手前、右側の細い路地、代官小路です。ここは車も出入りできそうにありません。
これはマンホール。味も素っ気もありませんが、これもまた珍しいかも。
で、やってきたのが代官所跡。ここは本当にこの説明板だけ。普通に民家が立ち並んでるだけで当時を偲ぶものは何もありませんでした。
代官所跡
代官所は、代官、下代(3~5名)が常勤し、年貢の取り立てと国継ぎを行っていた。宝暦7年(1757)、福岡藩の名称を廃した跡も、筑前六宿には残したので、江戸時代末期まで続いた。(現地の説明板より)
代官所跡の右の狭い路地を通って表通りの県道まで出ます。家から人が出てきたのでちょっとたじろぎました。不審者に見られたかな。
みちの郷土史料館まで戻ります。
ここにもタバコ屋さんがありましたね。
長徳寺の入り口の前からみちの郷土史料館が見えてます。
このあたりでぐっと車が左に寄るんですね。とても危ないです。
みちの郷土史料館の裏手の土手にあった瓦。
みちの郷土史料館の裏に展示してありました。
駐車場まで戻ってきました。この絵は裏から見た図ですね。手前の細長い建物は収蔵庫でここにトイレがありました。
駐車場です。左から来たのでいったん通りすぎて、Uターンして入りました。ちょっとわかりにくかったです。右に見えている遠賀川の上の橋は九州自動車道と山陽新幹線です。歩いた距離は大したことがなかったですが、日差しが強くて、ちょっと疲れました。観光客はほとんどいなかった様な気がします。穴場です。古い町並みが好きな方にはおすすめです。
では。