この「和泉式部の墓」は非常にわかりにくい場所にありました。何度も迷ってやっと探し当てました。山陽オートレース場近くに、「青木周蔵誕生地300m」と書かれた案内板と「和泉式部墓300m」という案内板ががあります。この2つの案内板は指す方角が90度ずれてます。
ただここからどう行くのかがわかりにくいのです。探し当てればなんだということなんですけどね。こういう場所は多いです。近づけば近づくほど案内が無くなる場所って。「青木周蔵誕生地」は1回で辿りつけたのですが、ここを見つけるまで4回ほど出直しました。
和泉式部の墓は川に沿ったた小さな集落の裏山にあります。
伝説 和泉式部の墓 和泉式部は、平安時代の代表的女流歌人である。和泉式部日記に見られるように情熱の歌人として誠に数奇な運命をたどった女性であるが、劇的な人物ほど伝説の好材料となり墓所と伝えられるものだけでも全国に10数か所あるといわれる。尚本市の場合は娘・小式部内侍誕生の地とも伝へられ、これに因んで産湯の井戸、産湯の岩、阿子根の松原等の言い伝へがある。しかし、この小丘は一見古墳であり、享保16年(1731年)「和泉式部の墓」として墓碑が建てられるに及んで伝説が定着したと思われる。ともあれ私たちの祖先が語り伝へたこの伝説を胸の中に温めておきたいものである。平成17年3月 山陽小野田市教育委員会(現地の説明板による)
この説明文によると、伝承は起こっているが確証はないと思われます。
お墓の入り口には和泉式部の歌が刻まれた石碑があります。碑文によるとこの石碑は平成20年4月5日に山陽小野田市観光協会が建立したものです。
では。
(撮影日2008.12.12)