そこにあるふつうの愛
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今日のBGM Borgeous の “Invincible” Female Vocal入り。Big room house

集英社世界の文学33巻から巻末のマラマッド「ビールストリートに口あらば」。

小説では主人公のティッシュことクレメンタインが婚約者のファニーことアロンゾとガラス越しに電話で話をする場面から始まります。いかにもアメリカ映画らしい情景で、なんとなく場面が想像できます。ここではファニーが牢屋にいる理由がまだわかりません。ページの半分あたりで無実の罪でファニーが逮捕されていることがわかります。

ティッシュは19歳、ファニーは22歳、ファニーは昼は運送会社でアルバイトをして、夜は彫刻に励んでいます。本人は彫刻家と言っていますが、定職はなさそうです。遊び人じゃないかな。話が見えないまま幼いころのファニーとティッシュが描かれます。ティッシュとファニーはお隣さんで幼馴染です。小さいころからティッシュはファニーの事を好きだったようです。

二人が初体験をした翌朝、その足でティッシュの家に行きティッシュの両親に結婚したいと申し入れます。実に潔く男らしい。両親と姉は静かにティッシュの帰りを迎え、ファニーを受け入れます。その後家に来たファニーの家族がティッシュを受け入れなかったのとは違ってティッシュの家族はファニーを家族の一員として認めます。

ファニーはどこぞの奥さんを強姦した罪で逮捕されていて、その被害者は行方不明、目撃者は人種差別主義者で弁護士によると無罪になるには難しい状況であるらしいのです。

面会に行ったときに、ガラス越しにファニーは告げます。「アロンゾ、赤ちゃんが出来るの」

異常な状況下ではあるも、日本でも、世界でも、江戸時代でも平成の時代でも、いつでもどこにでもありそうな、普通のそして当人たちにとっては特別な愛がそこにあります。

マラマッドのユダヤ人の靴屋の話(「最初の七年間」)や、ベローのホテルでその日暮らしをしている中年男が投資に失敗して破産を恐れている話(「その日をつかめ」)に比べると、なんてことはない、誰にでもある普通のお話です。

物語はティッシュの独白で語られます。「その日をつかめ」は中年のおっさんの独白なので愚痴っぽくて気が滅入りますが、こちらはみずみずしくて読んでいて楽しいです。

2019年に映画になったらしくて早川書房から新訳が出ています。タイトルが映画と同じになっています。「ビール・ストリートの恋人たち」。「口あらば」よりこちらの方がわかりやすいといえばわかりやすいです。翻訳ものが苦手なかたでも理解しやすいんじゃないかと思います。

では。