Flume feat. KUČKA & Quiet Bison – ESCAPE (Official Music Video)
ヌーン・シティへ行こうと思う旅行者は、今のところ何とか自分で方法を講ずるよりほかに手がない。バスも汽車もその方向へは通じていない。
遠い声遠い部屋5ページ
ジョエルは13歳。母親が突然病死したため、12年前に離婚していた父親に引き取られることになります。ジョエルはニューオリンズから一人で父親の住む「スカイリズ・ランディング」に向かいます。新調したパナマ帽は盗まれ、バスは3時間も遅れ、汗まみれになってたどり着いた「パラダイスチャペル」の街では迎えが来ていませんでした。途方に暮れるジョエル。
やっと迎えにきたジーザス・フィーヴァーの馬車に乗って家に着いたのは真夜中。翌日父親の今の奥さんエイミイと顔を合わせるのだけれど、父親には会わせてもらえません。
「お父さんはどこ?。あの会わせてほしいんだけど」「お父さんはおかげんが悪いの。今すぐ坊やに会うっていうのはむりだと思いますよ。」
今から半世紀以上も前の話
駅舎を出たところの狭い広場のロータリーをぐるっと回り、道路を渡った先の商店の軒下まで歩いていくと、戸口の横に色褪せて灰色っぽくなった「のこぎりの看板」目に入りました。
見えている道路沿いには商店とも住居とも見える小さな建物がごちゃごちゃと並んでいて、壁がをで白っぽく反射して温められた空気の中でゆらゆら揺れていました。
時折り強く吹く風に舞い上がった砂埃を目を細めてやりすごし、どこまでも続いている道を母親に手をつながれたままひたすら歩きました。どこまでいっても風景が変わらないので地の果てを旅しているようでした。汗がプールの中で泳いでいるように体にまとわりつきました。
伯母の家は石塀に囲まれていました。遠くからその石塀が見えてくると急に元気が出て母親を置いて走って裏口まで行きました。庭に入ると池や苔で覆われた灯籠などが見えてほっどしたことを覚えています。
「遠い声、遠い部屋」の最初の1行を読むとなぜかこのときの情景が浮かんできます。
ヌーンシティという町の名前、「とりたてて見るほどの町ではない」「町の通りは1本きり」。父親の家には水洗の設備は無くておまるを使う。電気が来ていないので夜は蝋燭とランプで過ごします。
会いたいのに会えない父親、会わせてもらえない不条理さ。「この家じゃみんなまるっきり耳が聞こえないんだもの」母親が死んだことさえまだ現実には思えていないのだと思えないのじゃないでしょうか。現実なのだけど現実的でないできごと、「不断の夢の中に溶け込んでいた」現実。
少年のめげないけれど「孤独」で「不安」な気持ち。
今ではなくなってしまったそういう気持ちですが、永遠に持ち続けていたい。(大人になれよといわれそうですけどね)
カポーティの「遠い声 遠い部屋」またいつか読もう。
では。