2023年10月長崎のコスモスを見る旅 その6無窮洞
2023年10月長崎のコスモスを見る旅 その6無窮洞

2023年10月長崎のコスモスを見る旅 その6無窮洞

Peter Gbriel 21年ぶりの新作です。ジェネシスからCDを持っているわたしとしては、嬉しい限りです。MIX違いの2枚組。(この動画はダークサイド)日本版も輸入盤も発売は12月1日。

ピーター・ガブリエル 21年ぶりの新スタジオアルバム『i/o』詳細発表 – amass

佐藤正午の「書くインタビュー」1巻の冒頭(最初の手紙インタビューの答えの中)で、長編小説の校正を宅配便で送るために佐世保駅まで行った、と書いてあって、はじめて佐世保が佐藤正午の出身地だということを知りました。

激しい雨だったので縁起をかついでタクシーで行ったとのことで、それ以上のことは書かれていなかったですが、佐世保はいいところだと思います。

旅の夜はエレナで買ったお酒ですっかり酔ってしまいました。急ぐ旅ではないので、ゆっくり起きて、ゆっくり支度しました。朝食にロビーに降りたのは8時でした。食事の席はとてもにぎやかで座るところを探しました。ビジネスのお客と観光の客が半々くらいの感じでした。

朝ごはんはバイキングなので、(いつも)少しづつ全種類取ってしまいます。だれがどう考えてもごはんとちらし寿司はバッティングしてます。絵里さんに食べられる?と聞かれました。どちらか一方だけ、でなければとる量を考えるべきでした。(食べたかったんだよね。)

残さず食べましたがこれは食べ過ぎでした。

食事をしながら置いてある無料の新聞を読みましたが、新聞を読んでいたのはわたしだけでした。(これだとホテルに新聞を置かなくても大丈夫そうです。)

フロントではチェックインの機械を点検していました。チェックアウトの時、カードキーをどうするのか分からなくてフロントに聞くと機械に入れてくださいとのことでした。ちょっと分かりにくかったですが簡単なので次からは大丈夫です。(忘れなければ)チェックインからチェックアウトまでホテルの方と話をしたのはそのときの1回だけでした。

ホテルを出発したのは9時半。昨日来た道を逆に辿って佐世保大塔インターを降ります。広いバイパスを通ってハウステンボス方面へ向かいます。

目的地がハウステンボスでないのは残念ですが、いつかお金をためて来てみたいと思います。チューリップ、薔薇、花火、見たいですね。ハウステンボスを通り過ぎてさらに先へ進みます。

目的地の無窮洞に着いたのは10時。

計画では無窮洞の前に同じ日本遺産の「旧佐世保無線電信所」に行く予定にしていましたが取りやめました。ゆっくり行くことにします。

日本遺産というのは

文化庁では、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として認定し、ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群を総合的に活用する取組を支援します。

日本遺産とは|日本遺産ポータルサイト

ということで、「海上自衛隊佐世保史料館」も一連の日本遺産になっていました。

ちょうど小学校の社会見学にあたったようで、無窮洞の入り口には子どもたちで溢れてました。どんどん中から出てきます。駐車場には観光バスが2台、斜めに停まっていました。広くない駐車場なので他の車は止めることが出来ません。

車は駐車場を少し過ぎた道の端の方川に沿って停めました。車がほとんど通らない場所なので問題はなさそうです。(無窮洞の説明板の写真の右上に見えている軽自動車の左の方、説明板に隠れて車のお尻が少しだけ見えているのがわたしの車です。)

引率の先生があと10分ほどで行きますから、と言われたので説明板を読んで絵里さんと話をしていました。しばらくして小学生がバスに全員乗り込んだので中に入ります。(急にあたりが静かになりました。)

「太平洋戦争末期に手彫りで彫られた防空壕」ということなので暗くて狭くて息苦しい場所と思っていましたが天井は高く、通路も広く、思ったより快適な感じがしました。人が大勢入ればまた違うと思います。

これらのツルハシや鍬などでこの防空壕を掘削したということです。

『無窮洞(むきゅうどう)』とは、第二次世界大戦のさなか(1943年)、当時の宮村国民学校の教師と小学生たちが掘った巨大な防空壕のことです。中は幅約5m、奥行き約20m、生徒500人が避難できたというほどの大きさ。避難中でも授業や生活ができるように、教壇まで備えた教室をはじめ、トイレや炊事場、食料倉庫、さらには天皇の写真を奉ずる御真影部屋まで設けてあり、戦時下の時代背景を知ることが出来ます。 当時4年生以上の児童がツルハシで堀り進み、女子生徒がノミで仕上げたといわれ、工事は昭和18年8月~終戦の昭和20年8月15日まで続けられたそうです。 天井は小学生の手によるものとは思えないほど、美しいアーチを描き、平和の祈りが聞こえてきそうな趣きの『無窮洞』。

無窮洞 | 観光スポット | 【公式】佐世保・小値賀 観光/旅行サイト 海風の国観光圏

奥から入口を見たところです。入り口から20mほどのところから撮影しています。

教壇。

流し台

かまど。

通路。わたしの年でも(戦後生まれなので)爆撃とか防空壕は想像することしかできません。さきほどの子供達はこの防空壕をどのように感じたのでしょうか。

記帳をして、少しですがお金を入れておきました。

中にいたのは15分くらいです。これは地元の村長でのち県会議員だった方の銅像。

これは文字通りの記念碑。

10時に無窮洞を出発、大村湾を右に見ながら大又農園のコスモス園へ。

無窮洞から国道205号に出る時、車が途切れるのを待っていると、通りがかった女性が信号機の歩行者ボタンを押しました。ウィンカーを出して長いこと停まっていたのでわざわざ信号を押してくれたように思います。その方は道を渡らずにそのまままっすぐ歩いていかれました。佐世保はいいところですね。

続きます。

無窮洞から国道205号に出る時、車が途切れるのを待っていると、通りがかった女性が信号機の歩行者ボタンを押しました。ウィンカーを出して長いこと停まっていたのでわざわざ信号を押してくれたように思います。その方は道を渡らずにそのまままっすぐ歩いていかれました。佐世保はいいところですね。

無窮洞から国道205号に出る時、車が途切れるのを待っていると、通りがかった女性が信号機の歩行者ボタンを押しました。その方は道を渡らずそのまま真っ直ぐ歩いていかれました。ウィンカーを出して長いこと停まっていた車を見てわざわざ信号を押してくれたのだと思います。佐世保はいいところですね。

続きます。