引接寺山門の天井にある龍の彫刻です。
江戸時末期、引接寺の石段の下で、通りがかりの旅人が殺されてしまいました。その後何度となく人が殺されたそうです。その人を殺していたという怪物がこの「龍」だった、ということです。
これが山門です。ここからだと龍は見えませんね。知らないと見逃してしまいます。
この広い道が車参道。
下関指定文化財 引接寺三門
引接寺は、浄土真宗で当初門司区にあったが、下関の亀山神社地に移転したので山号を関亀山と称した。永禄三年(一五六〇)に忠誉一徳栄林上人がこの地に建立した。その後慶長三年(一五九八)小早川隆景公の遺言により縁族藤堂佐渡守が大施主となり。隆景公の菩提寺として再興し面目を一新した。現在は当時の建物は焼失して残ってないが、本堂の花崗岩の石積基壇の形式から考えると中国風の影響が強い寺院建築であったと思われる。この三門は、明和六年(一七六九)毛利匡満により再建されたものであるが、花崗岩四半敷の基壇は、慶長再建のままであると考えられる。従って雄大な規模の四脚門や、両側に脇門をつけた珍しい形式も慶長再建の三門の形式を受けついだものと考えられる。また、門の内部を二手先の組物を使い「竜を彫り込んだ」鏡天井とした例も希少で江戸時代後期の建築としては意匠的にも大変優れた三門である。(現地の説明板による)
では。
(撮影日2009.04.21)