荒熊稲荷神社(忌宮神社)
忌宮神社の末社。 荒熊稲荷神社由緒 文化・文政年間、長府藩十一代藩主毛利元義公が江戸参勤交代の帰途、京都の伏見稲荷大社に詣でて御分霊を勧請し、産業の繁栄を祈願した。嘉永元年(一八四八)に現在地に遷して社殿を …
忌宮神社の末社。 荒熊稲荷神社由緒 文化・文政年間、長府藩十一代藩主毛利元義公が江戸参勤交代の帰途、京都の伏見稲荷大社に詣でて御分霊を勧請し、産業の繁栄を祈願した。嘉永元年(一八四八)に現在地に遷して社殿を …
忌宮神社の裏手にあります。 今から約千八百年前のむかし中国より秦の始皇十一世の子孫功満王(こまおう)が来朝帰化しここ豊浦宮にご滞在の仲哀天皇に蚕種(カイコの卵)を献上したのが、わが国養蚕の始まりと伝えられる …
古事記・日本書紀によれば、第十四代仲哀天皇は九州熊襲征討のためご西下になられ、ここの仮の皇居「豊浦宮(とよらのみや)」を興して七年間ご滞在になられて甚神功皇后と共にそのご準備を進められた。古くよりこの地は、九州にほど近い …
忌宮神社境内裏にある集童場場長室。 この集童場場長室はもともと古江小路にあったものを、昭和三年(一九二八)に所有者伊藤氏から寄贈を受けて移築保存したものです。集童場は私塾でいわば長府の松下村塾です。 &nb …
長門の国府がおかれたところから長府の地名になったというのは知られていることですが、ここがその長門の国府の政庁としての国衙があった場所です。長府図書館の敷地内にあります。 くわしいことはこの説明板で。 では。 …
長府図書館には駐車場がないので遠くからの利用者はなかなか来にくいのではないでしょうか。どこかに駐車場を確保して欲しいですね。 図書館のある場所は忌宮神社の真裏です。 乃木神社の前の道をまっすぐ …
乃木旧邸(長府宮の内町) 乃木希典は、嘉永二年(一八四九)十一月、長府藩士乃木希次の子として、江戸麻布の長府毛利藩邸に生まれたが、安政五年(一八五八)、十歳のとき父とともに長府の地に帰り、十六歳で萩に従学するまで、私塾集 …
長府宮の内町にある乃木神社です。乃木さん通り商店街(長府商店街)から乃木神社まで参道が続いています。 鳥居の左に駐車場に入りる道があります。境内に入るとすぐ左に長府武道場があります。 写真は鳥 …
下関市指定有形文化財 吉岡家長屋 建物の所在位置は 江戸時代中期の長府屋敷割図に大久保五郎左衛門の屋敷地として記録されている。なお大久保家は長府藩馬廻として藩の要職に就いていた。間口三間(5.45メートル)奥行六間(10 …