「勘場」は藩政時代の代官所のことをいう。高泊開作築造時に舟木代官楊井三之允が起居した役宅である。作花家は天正7年(1579年)三代源兵衛のとき以来、代々庄屋、大庄屋を勤め、六代権左右衛門庄屋役中に開作工事に奔走した功により、終身年額二石と勘場屋敷を拝領、寛文12年に郷片山の地から転居し今日に至っている。
当時の建物の様相を維持しており、代官の起居した表八畳の間は一段高く、いわゆる上段の間である。作花家はもと信次姓で、七代権右衛門信継ぐまで「目姓」。信継の晩年藩命によって「作花姓」に改めた。(現地の説明文による)
地元の人の話によると「作花さんは今ここに住んでいないので、屋敷は荒れています。」とのことでしたが、屋敷は壊れているところもなく、庭も雑草で覆われているというほどでもありませんでした。
ただ表札はでていませんでした。屋敷の前の道は車1台がようやく通れるほどの狭い道なので、近くに車を止めて歩いた方がいいと思います。縄地口バス停から高泊神社に向かって歩き、鳥居をとおりすぎたところの小さな祠の手前を左に入ったところです。
では。
(撮影日2008.12.07)