山口市宮野下恋路の清水寺に行ってきました。
山口市宮野下恋路の清水寺に行ってきました。

山口市宮野下恋路の清水寺に行ってきました。

山口市宮野下恋路の清水寺(せいすいじ)に行ってきました。

写真を撮っているとヤブ蚊に刺されました。

手で叩くと赤い血がにじみました。腕がかゆいです。

清水寺に行ったときのエントリーはこちらです。 2010年11月2日 秋を感じた清水寺 

2010年11月3日 山口十境の詩その1清水晩鐘(せいすいのばんしょう

10年以上経っていますが、記憶とほとんど違いはありませんでした。

清水寺の入り口には看板が出ていてすぐわかるのですが、清水寺に向かう道は車が1台通れるほどの幅しかなく、影になって薄暗いです。4台ほど停められる駐車場は、どこかの作業車と人の姿を見ない2台の車が止まっていたので、トイレの前の舗装されていない空き地に車を止めました。

2つ目のエントリーに書いたようにこのお寺は1373年頃山口に滞在した明の洪武帝の使節「趙秩(ちょうちつ)」が詠んだ漢詩「山口十境詩」のうちの1ヶ所です。創建はさらに古くて鎌倉時代の806年頃で、山口盆地では最も古いお寺だということです。

2010年にあった山門前の 山口十境詩 の石碑は無くなっていました。

清水晩鐘

暮雲疎雨欲消魂
獨立西風半掩門
大内峯頭淸水寺
鐘聲驚客幾黄昏

清水の晩鐘
暮雲疎雨(ぼうんそう)、魂消(たましいき)えんと欲(ほっ)す
独(ひと)り西風(せいふう)に立てば、半(なか)ば門(もん)を掩(と)ざす
大内峰頭(おおうちほうとう)、清水寺(せいすいじ)
鐘声(しょうせい)、客(かく)を驚(おどろ)かすこと幾黄昏(いくこうこん)

これがその鐘だと思うのですが、鐘を打つ棒がなくて、鐘の音を聞くことはできませんでした。

雨が降っていたのでしょうか、夕方になる鐘の音があたりに鳴り響いて人を驚かせたのでしょうか?。

私だけが一人でここにいるわけですが、趙秩がこの歌を詠んだ時代もこのあたりは辺境の鄙びた場所だったのでしょうか。

観音堂へ向かうこの階段は急で、でこぼこで、薄暗くて、ところどころ水が湧いていて、ヤブ蚊がいて少々危険です。まくっていた長袖を一番下までおろして腕をヤブ蚊から保護しながら歩きます。

観音堂です。 山口十境詩の設置場所の左奥です。

観音堂は1493年の創建で県の有形文化財。

さらに上に上がったところにある山王社本殿

創建は1374年。この本殿も山口県の有形文化財。

ところどころクモの巣が張っていててでかき分けて行きました。

階段を降りてきて山門を上から見下ろしたところです。

山門の左右に鎮座する木造金剛力士像です。阿形。

吽形。あわせて阿吽像。作者は誰か書かれていませんでしたがこの引きしまった肉体はかなりワークアウトしている感じ。迫力があります。

この看板が10年前にあったかどうか覚えてませんが、ナンバーが打たれているところを見ると宮野地区にはかずかずのこういった文化財が残されているのでしょう。

10年経っても変わらず静かにあり続けていた清水寺でした。

では。