豊田氏菩提所知行寺跡
豊田氏の十三代長門守種藤は南北朝時代の中頃(西暦1350年代頃)一の瀬から殿敷の向山に移った。それと共にこの地点に豊田氏の菩提寺知行寺を建立した。この前の道路の下はその寺院のあった所で、種藤以降、弘治二年(西暦1556) …
豊田氏の十三代長門守種藤は南北朝時代の中頃(西暦1350年代頃)一の瀬から殿敷の向山に移った。それと共にこの地点に豊田氏の菩提寺知行寺を建立した。この前の道路の下はその寺院のあった所で、種藤以降、弘治二年(西暦1556) …
考古博物館の前から綾羅木郷台地遺跡の前を通り、上の山古墳を過ぎてかなり歩きます。綾羅木よりというよりは、新下関に近いところです。 道が狭いので車で行くと迷ったとき、にっちもさっちもいきません。私は道が広くな …
今日のときわ公園は、照ったり曇ったりで、暑かったり涼しかったりでした。歩き続けたので汗は沢山でました。ときわ公園は日陰は少ないのです。そのうえ正面入り口から菖蒲園まではすごく遠いのです。 西入口から入れば近 …
山口市嘉川赤坂バス停の前に浄福寺はあります。これは鐘門。 楼門の上部に鐘があります。 太陽の照り返しがきつくて眩しいほどです。夏来たときは写真がうまく撮れませんでした。今回は季節は春、桜が咲い …
はつ夏の 山のなかなるふる寺の 古塔のもとに 立てる旅人 この歌は明治四十年六月牧水が二十一才のとき、東京から郷里の宮崎県に帰省の途中、この山口の五重塔を訪れて詠んだものである。(抄。現地の説明板による) …
明治三十年(一八九七)から東西新川を往来していた渡し場跡。それまでは、干潮時、飛び石伝いに渡っていた、初めて鉄筋コンクリート造りの新川橋が、架かったのは明治四十一年(一九○八)のことである。(現地の説明板に …
上山文英堂本店跡。詩碑「みんなを好きに」 起点の下関観光情報センターから国道9号線沿いをずっと西へ歩いていきます。 詩碑は建物の裏道の側に建っているので市役所の前の道をを歩いた方が見落とさなく …
下関観光情報センター前が「金子みすゞ詩の小径」の起点です。ここに刻んである詩は「障子」です。 金子みすゞ詩の小径は生誕100年の2003年に整備されました。 「金子みすゞ詩の小径」についてはこちらから 金子 …
下関観光情報センターの建物の内部です。入って左正面には「金子みすゞ上山雅輔姉弟のへや」があります。 下関観光情報センターは「金子みすゞ詩の小径」の起点になっています。色んなものが展示されています。駐車場がな …