木戸神社
国道9号線、県庁の近くにこの木戸神社があります。入り口はちょっとわかりにくいですが、「メガネの三城」の横から入ります。 木戸神社は木戸孝允(桂小五郎)を祭った神社です。 参道は薄暗いです。 & …
国道9号線、県庁の近くにこの木戸神社があります。入り口はちょっとわかりにくいですが、「メガネの三城」の横から入ります。 木戸神社は木戸孝允(桂小五郎)を祭った神社です。 参道は薄暗いです。 & …
大内義長が教会建設の許可を与えた書状の写しを石碑にしたものです。 亀山公園国木田独歩詩碑の手前にあります。階段のすぐ横です。 大内義隆の庇護のもとに山口においてキリスト教の布教に当つていたフラ …
写真は春帆楼の入り口前にある道標。建物の間から壇ノ浦が見えています。 石碑が4つ並んでいます。 日清戦争終結のための講和会議のとき、清国全権大使「李鴻章」が危難を避けるため、宿舎(引接寺)と会 …
下関では、林芙美子は明治36年(1903)田中町の五穀神社入口にあったブリキ屋の2階で生まれたと言われています。 このこの五穀神社前に生誕地の石碑が建てれています。 生誕地については異説もあっ …
曲水の宴の碑です。「ごくすいのえん」と読むのが正解だと思うのですが、最近は「きょくすい」と読むところもあるようです。 場所は砂子多川の「かっぱ石」のすぐ横です。 曲水の宴の説明板がすぐ横にあり …
石碑と説明板だけで遺跡は残っていません。道を挟んで関所というドライブインがあるのが目印です。このあたりを通る車はスピードを出しているので車を止めるときには注意が必要ですね。下関市豊田町の木屋川沿いにあります。 では。 ( …
豊田氏の十三代長門守種藤は南北朝時代の中頃(西暦1350年代頃)一の瀬から殿敷の向山に移った。それと共にこの地点に豊田氏の菩提寺知行寺を建立した。この前の道路の下はその寺院のあった所で、種藤以降、弘治二年(西暦1556) …
元治元年(1864)12月15日、長府功山寺に潜居中の五卿に奇兵隊による挙兵を宣言した高杉晋作は、12月16日午前4時ごろまず最初に新地会所を襲撃しました。 厳島神社鳥居のすぐ横にこの石碑は建てられています …
湯田の高田公園にある七卿の碑(七卿遺蹟之碑)です。 幕末、長州藩は勤王の公卿たちと連絡して、尊皇攘夷の先鋒となって働きました。これに対し幕府は、長州に政権を奪う野心があるとして長州藩士とそれに同調する三条実 …
七卿史跡 維新回天発祥地 櫻山招魂場を視察 文久三年(1863)八月十八日の政変により、三條実朝卿等七卿は京都妙法院をあとに西下長州に向う。 翌元治元年三月二十六日六卿は馬関砲台を巡視発程の途上錦小路は病を …