龍馬と下関 お龍と桜山招魂社
龍馬の死後、下関に滞在していたお龍は、一時期、桜山招魂社(招魂場)運営のために設けられた「あけぼの」という茶屋で、橙の実を短銃で撃ったり、一晩中飲み明かしたりして過ごしたといいます。この間、お龍は桜山招魂場に祀られた人々 …
龍馬の死後、下関に滞在していたお龍は、一時期、桜山招魂社(招魂場)運営のために設けられた「あけぼの」という茶屋で、橙の実を短銃で撃ったり、一晩中飲み明かしたりして過ごしたといいます。この間、お龍は桜山招魂場に祀られた人々 …
功山寺山門の正面にある仏殿の左にある功山寺の総合説明板です。 功山寺墓地と長府博物館 功山寺の墓地には龍馬とも交流のあった長府藩士三吉周亮や、印藤聿(豊永長吉)、三吉慎蔵らが永眠しています。 また功山寺に隣 …
覚苑寺にある長府藩十三代藩主毛利元周(もうりもとかね)公の墓所です。 元周は龍馬のことを高く評価し、衣類や刀を下賜した他、一時金を供与してその活動を直接的に支援しました。なお左隣の墓石は「いろは丸」船主であ …
大村神社からほんの数分奥に入ったところにある鋳銭司郷土館です。 これは大村益次郎の像です。郷土館なので、郷土の偉人大村益次郎と周防鋳銭司関連の出土品が展示してあります。 入館料は100円。展示 …
国道2号線を小郡方面から防府方面に向かうと長沢の池の手前で積水ハウス山口工場が見えてきます。この工場の前に広大な空き地が広がっています。 その空き地が周防鋳銭司跡跡。説明版が工場側と、反対側に2ヶ所に建てら …
山口市大内長野の県道26号線沿いにある二義少年の碑。右に見える鳥居は長野八幡宮の鳥居です。二義少年の墓は大塚古墳にあると書かれていましたが、この碑の近くのはずなんだけど、大塚古墳そのものが見つけられませんでした。暑い中歩 …
このお堂は氷上山興隆寺の観音堂を明治17年現在地に移築したものです。建物の建築年代についての文章等がないためにわかりませんが、建築様式から18世紀前半頃に建てられたものではないかと思われます。(「ふるさと山口」)観音堂の …
厚東川左岸にある蟹塚。 「(伝承)安政年間妻崎新開作が開田された後、蟹の異常発生で農作物の被害があり、蟹を多量に殺生したのでその弔いのため建立された」とあります。 では。 (撮影日2010.06.07) 大 …
「新開作と居能の間を厚東川の渡し船で昭和十年頃まで船賃一銭で往来されていた」(杭に書かれている説明文)とあります。小島新樋門から厚東川に出て、川沿いを北上するとあります。 向こう岸を見たところ。なにか痕跡で …