豊田氏菩提所知行寺跡
豊田氏の十三代長門守種藤は南北朝時代の中頃(西暦1350年代頃)一の瀬から殿敷の向山に移った。それと共にこの地点に豊田氏の菩提寺知行寺を建立した。この前の道路の下はその寺院のあった所で、種藤以降、弘治二年(西暦1556) …
豊田氏の十三代長門守種藤は南北朝時代の中頃(西暦1350年代頃)一の瀬から殿敷の向山に移った。それと共にこの地点に豊田氏の菩提寺知行寺を建立した。この前の道路の下はその寺院のあった所で、種藤以降、弘治二年(西暦1556) …
明治三十年(一八九七)から東西新川を往来していた渡し場跡。それまでは、干潮時、飛び石伝いに渡っていた、初めて鉄筋コンクリート造りの新川橋が、架かったのは明治四十一年(一九○八)のことである。(現地の説明板に …
この梵鐘は室町時代周防長門など七か国の守護であった大内義隆が享禄五年(一五三三)に大内氏の氏寺興隆寺に寄進したものである。総高が一八九センチ、口径が一一一・八センチの巨鐘で、朝鮮鐘の影響を多く受け、乳の間四区の間に四天王 …
下関市豊田にある豊田氏館跡です。 この石碑はの館ヶ浴の椿の入り口にあるのですが、道の駅から行くとカーブの内側なので気づかず通り過ぎてしまいます。建物やなんかは何も残ってなくて、本当に跡だけ。また標識にあった …
下関市豊田町一ノ瀬にある千人塚です。畠の真ん中にあって、道からは柵があって中には入れません。塚の裏は見ることができないのでいわれなり何か書いてあるのかもしれませんが、説明板もなにもないので、この塚がいったいどういったもの …
元治元年(1864)12月15日、長府功山寺に潜居中の五卿に奇兵隊による挙兵を宣言した高杉晋作は、12月16日午前4時ごろまず最初に新地会所を襲撃しました。 厳島神社鳥居のすぐ横にこの石碑は建てられています …
下関市王喜の畑地区にある「こて絵」です。こて絵とは壁に塗る漆喰の材料を鏝(こて)で盛り上げて彫刻風にしたものです。 この地区のこて絵は昭和40年代の作で、作者は、木屋川本町二丁目、木下要氏の母フジノさんの兄 …
覚苑寺境内の乃木希典像です。 緑の木々に囲まれています。秋には紅葉しそうですね。 本堂の左の奧の方薄暗いところにあります。 台座前面に名古屋歩兵第五旅団長時代の歌が刻まれています …
覚苑寺境内にある狩野芳崖像です。 覚苑寺が狩野家の菩提寺のため建てられました。この像は2代目で1代目は戦時中に供出されたそうです。名前の印象からか、もっとごっつくて偏屈な感じの顔を想像してました。 では。 …