読書の夏、そして東京オリンピックの終わり
読書の夏、そして東京オリンピックの終わり

読書の夏、そして東京オリンピックの終わり

今日のBGMは Sigur Rós – Glósóli (Live In Ólafsvík) 。うん、暑い夏にはこういう音楽が似合う。

8月8日日曜日、今日で7日間のピロリ菌の除菌も終わりです。

明日からは胃と十二指腸の潰瘍の治療の薬を飲みます。

ピロリ菌除菌の薬は食後に服用する薬だったので、この7日間は何か食べました。

普段私は朝と昼は食事をしません。コーヒーやお茶くらいは飲むのだけれど固形物は食べません。夜は魚、野菜サラダ、果物を中心に、たまにご飯を食べます。(魚は欠かさないのだけれど肉はほとんど食べません。ハムは野菜と一緒に食べます。)なので、夜は薬を飲んでも問題ないのですが、朝昼ともに食べないで薬を飲むのは問題ありそうだったので、菓子パンだったりおむすびを食べました。

食パンは買わないので菓子パン。おむすびは三島食品の「ひろし」でにぎったもの。(これ美味しいんだよね。「ゆかり」より好きです。)

さて、大江健三郎の「芽むしり仔撃ち」と桐野夏生の「玉蘭」を読み終えました。大江健三郎は前から読んでいる全集で、桐野夏生は単行本で。

同時にkindle unlimited でラノベを読んでいるので絵里さんには「オリンピックを見ないの?」とずっと怒られてました。卓球とか空手とか3人制バスケットボールとか、オリンピックは結構見ましたよ。本を読みながら横目でですけどね。そのオリンピックも今日で終わりです。

「芽むしり仔撃ち」は読了まで432分。「玉蘭」は395時間かかりました。 「芽むしり仔撃ち」は 朝起きて出社までの時間に、「玉蘭」 は夕食後寝るまでの時間に読みました。玉蘭はテレビドラマになったそうですが見ていません。

「玉蘭」は物語の中に出てくる花の名前です。話のすじとは関係ないですね。人生の象徴みたいのものです。帯には「恋愛の本質に迫る最大の問題作」と書かれてますが、恋愛がテーマじゃないと思います。主人公たちは体の関係は持っているけど恋愛はしてないと思うんだよね。

これは「世界の果て」と「世界の中心」上海での孤独な魂の物語。

「玉蘭の花が枯れる時、幻の船に乗って失踪した男が現れる。愛を知るには73年の月日が必要だった。」

「広野有子」は恋人と別れ、東京の出版社を退職して上海のH大学の寮に住み、中国語の勉強をしている。大学の寮は男が多い日本人の閉鎖社会で付き合い方が難しい。有子は上海で船乗りをしていたという父方の祖父の兄「広野質」の日記「トラブル」を寮まで持って来ていた。 「広野質」 (1902年生まれだと思う)は日本に帰って来た後1954年に失踪している。

ある夜、寮の部屋の「有子」の前に「広野質」の亡霊が出る。

ここからこの2人に関係する人たちの人生が展開していきます。

別れた有子の恋人のは「松村行生」 。原稿の校正で知り合った胸部内科結核の専門医。有子と付き合っていても別の女と寝ている。
「広野質」の妻は「宮崎浪子」こと「大崎とし」。彼女は先生だった「井上章三郎」と結婚していたが、コミンテルンの誘いで夫婦で上海にやってくる。「井上章三郎」は「とし」上海にを残したままコミンテルンの大金を横領し方不明となる。浪子もコミンテルンに追われる身になり 「宮崎浪子」 の名前で暮らすようになる。

「松村行生」 は1年後、有子に会いに上海に来るのですが有子は「壊れて」います。 「松村行生」 は有子の額に角の幻を見るのです。

「広野質」は何度も言います。始めてきた場所は「世界の果て」。自分を取り巻く世界が自分と同化することで世界の真っ只中になる。上海は世界の果てであり世界の中心であると。

生きていくために誰かを頼らなければならないから、誰かと一緒にいるのだけれど、そこは世界の果てで決して中心ではない。そこに愛はなくて、あるのは孤独「世界の果て」だけですね。

「広野質」の52歳以降97歳までの人生は幸せだったと思います。おだやかな愛ですね。

視点が登場人物によって変わるので話の続きがよくわからなくなります。

「松村行生」より「広野有子」、「広野有子」より「広野質」、「広野質」より「宮崎浪子」の人生の方が興味深いです。

では。