龍馬と下関 龍馬が通った旧赤間ヶ関稲荷町跡
国内屈指の遊郭街であった稲荷町や裏町には、幕末の志士たちも多く足を運んでいます。当時の遊郭は、遊興の場であるとともに政治談議の場所でもありました。この界隈には、町一番の大店「大阪屋」があり、高杉晋作、伊藤俊輔(博文)らも …
国内屈指の遊郭街であった稲荷町や裏町には、幕末の志士たちも多く足を運んでいます。当時の遊郭は、遊興の場であるとともに政治談議の場所でもありました。この界隈には、町一番の大店「大阪屋」があり、高杉晋作、伊藤俊輔(博文)らも …
唐戸交差点に近いところにある入江和作邸跡の記念プレート。全然目立たないですねえ。もっとでかくて派手な色使いをした方がよかったのではないでしょうか。 「奈良屋」と称して酢の醸造業を営んだ豪商入江家屋敷跡。 当 …
紅葉も終わりかけて、騒がしかった長府の秋の観光シーズンも終わりに近づいてます。商店街のあちこちで見かける観光客も、このあたりには来ないようで、まあ、地元の方も、ほとんど通ることのない道にぽつんとあります。 …
幕末の当主助太夫(九三)は、龍馬の活動を物心両面から支えた人物です。龍馬と助太夫(九三)との関係は龍馬が薩長同盟実現に向けて下関を訪ねた慶応元年(1865年)に始まりました。以来、龍馬は下関を訪ねる度に伊東家を寄宿先とし …
龍馬の死後、下関に滞在していたお龍は、一時期、桜山招魂社(招魂場)運営のために設けられた「あけぼの」という茶屋で、橙の実を短銃で撃ったり、一晩中飲み明かしたりして過ごしたといいます。この間、お龍は桜山招魂場に祀られた人々 …
功山寺山門の正面にある仏殿の左にある功山寺の総合説明板です。 功山寺墓地と長府博物館 功山寺の墓地には龍馬とも交流のあった長府藩士三吉周亮や、印藤聿(豊永長吉)、三吉慎蔵らが永眠しています。 また功山寺に隣 …
覚苑寺にある長府藩十三代藩主毛利元周(もうりもとかね)公の墓所です。 元周は龍馬のことを高く評価し、衣類や刀を下賜した他、一時金を供与してその活動を直接的に支援しました。なお左隣の墓石は「いろは丸」船主であ …
一部だけ見えていますが、左にある「手づくり郷土賞」(しめだ川親水護岸)の石碑と比べると、ん~、なんだか美観を損ねているような気がしますね。この風景とアンマッチしてるかな。 この日は紅葉を見に来た方がたくさん …
功山寺の前を通って港まで流れる壇具川。 鴨がたくさん。鴨の下では鯉が泳いでます。 壇具川の川沿いにある印藤聿生家跡(いんどうのぶるせいかあと)説明板。坂本龍馬と長府藩のパイプ役として、その政治 …