山口十境の詩その3「南明の秋興」(なんめいのしゅうこう)
大内の乗福寺内にある「南明秋興」の詩碑です。「日本を訪れた明使趙秩は、文中元(1372)年冬から翌年10月にかけて山口を訪れ、その景観を十境として漢詩に詠みこみました。現在も当時の景観をしのぶことができる場所が残されてい …
大内の乗福寺内にある「南明秋興」の詩碑です。「日本を訪れた明使趙秩は、文中元(1372)年冬から翌年10月にかけて山口を訪れ、その景観を十境として漢詩に詠みこみました。現在も当時の景観をしのぶことができる場所が残されてい …
1年間宇部の高校に通っていたことがあります。周防佐山駅から琴芝まで宇部線で通っていたのですが、この草江駅を過ぎると、そろそろだなと降りる準備をしていました。琴芝駅までは宇部岬駅と東新川駅があるのですが、ここを過ぎると宇部 …
鋳銭司にある大村益次郎生誕宅跡です。公園化されてとてもきれいになっています。ちょっと車を駐めて休憩するにもいいかもしれません。JR四辻駅近くなのですがまわりには大きな建物はなくて車の通りも少なく静かです。 …
山口県選定近代化遺産の看板建築です。 昭和初期に建てられた木像2階建ての看板建築です。今は店名が消されていますが、万代ミシン店(旧万代建材店)として知られていた建物です。ミシン店は廃業されてのでしょうかね。 …
国道2号線を小郡方面から防府方面に向かうと長沢の池の手前で積水ハウス山口工場が見えてきます。この工場の前に広大な空き地が広がっています。 その空き地が周防鋳銭司跡跡。説明版が工場側と、反対側に2ヶ所に建てら …
大村益次郎は医者で蘭学者で軍隊を率いた軍人。明治維新の立役者の一人でありながら影が薄いような気がします。お墓は長沢の池の少し奥、まばらにある住宅の奥、山の裾野にあります。地元では神社があるくらいなので、神として祀られてい …
「様」がついている楠は珍しい。山根観音堂の上の楠のように、幹の空洞の中に弁財天が祀られています。 地蔵菩薩と弁財天、どちらがありがたいのかとうと、私は男なので弁財天の方がいいな。 管内の天吹と …
地蔵院があるのは大内小野という場所なので小野の地蔵院。 小野という地名が何に由来するのかわかりませんがよく聞く地名なの場所を間違えそうです。 地蔵というと石造りの小さなものが沢山あるイメージ、 …
この本にはカポーティの近況という文があります。近況と言ってもカポーティは1984年8月25日に亡くなっています。この本が出版されたのは1976年10月、「冷血」が書かれたのが1966年。ここでは1973年頃のカポーティに …
この寺は仁平元年(1151)創建したといい、開山も開基も不明で、年号をもって寺号としたものです。正平7年(1352)大内弘幸が本堂を修造し、その供養会が鎮守山王の社頭で法楽舞が行われました。、また、大内弘世のとき、仁王門 …