今川了俊歌碑(洞玄寺)
雨にきる 我身の代に かへななむ ころもをゐてふ あさの里人 建徳一(一三七一)年十月八日 当寺にて 山陽小野田市の洞玄寺にある今川了俊の歌碑です。 山陽道歌人の足跡 歌人今川了俊(貞世) 室町幕府から九州 …
雨にきる 我身の代に かへななむ ころもをゐてふ あさの里人 建徳一(一三七一)年十月八日 当寺にて 山陽小野田市の洞玄寺にある今川了俊の歌碑です。 山陽道歌人の足跡 歌人今川了俊(貞世) 室町幕府から九州 …
ひとかたに流 るる潮の見ゆる まで中空の月海 峡に照る 昭和31年5月佐藤佐太郎は 関門海峡に臨む阿弥陀寺町の旅舎に一泊した。そのときに作られた歌である。後に歌集「群丘」に収載するにあたって 第二句「潮」は「渦」と改作さ …
本州最西端の地毘沙の鼻(びしゃのはな)です。「の」は「ノ」でも表記があるのでどちらでもいいのかな。 国道191号線を、吉見と梅ヶ峠の間にある標識に従って室津方面に曲がり、道なりに進みます。市の環境センター吉 …
結婚式場と階段の間にある石塔、石碑、松です。 石幢(せきとう) 天正十年三月の銘があり山口県では最古のもの。もと本陣伊藤邸にあったが、 昭和四年社殿の完成に際し当主伊藤盛吉氏から赤間神宮に移さ …
大内氏31代義隆卿辞世の歌碑です。山門から鐘楼を通り本堂へ行く参道のの右側にあります。 大分20年(1551)重臣陶晴賢の謀叛により大内氏31代義隆卿は大内御殿から長門の大寧寺に逃れました。この時大寧寺住職異雪慶殊和尚の …