朝鮮通信使上陸淹留之地の石碑
朝鮮通信使上陸淹留之地(ちょうせんつうしんしじょうりくえんりゅうのち)の石碑です。赤間神宮の駐車場の横の阿弥陀寺公園に建てられています。 朝鮮通信使については下関観光協会のページを読んでいただければわかりま …
朝鮮通信使上陸淹留之地(ちょうせんつうしんしじょうりくえんりゅうのち)の石碑です。赤間神宮の駐車場の横の阿弥陀寺公園に建てられています。 朝鮮通信使については下関観光協会のページを読んでいただければわかりま …
紅石稲荷神社(べにしいなりじんじゃ)は赤間神宮の境内東にあります。すぐ隣には大東塾十四烈士の碑、大連神社があります。 紅石稲荷神社由緒 今を去る八百年前、源平の争乱起るや、平家一門は御幼帝安徳天皇を奉じて西遷するに際し、 …
下関市豊田の神上寺駐車場の前に「近松門左衛門誕生之地」の大きな石碑があります。 江戸時代の初め、身重になった女中が世に憚って出産したいと、神上寺に救いを求めてきた。然し、神上寺は女人禁制で囲うこともできず、 …
「道祖神」 道祖神は、別名さいのかみとも呼ばれ、道路の悪霊を防いで、道行く人を災難から守る神である。昔ここを通る人は、この神に供物をしたが、供物がない時には、道端の小石で、も供え、わびしい山路で出あう道祖神に親しみをおぼ …
千林尼大休指月石畳道(せんりんにたいきゅうしづきいしだたみみち)を歩いてきました。 かつて小野田地方から楠町舟木に行く往還道として人や荷駄が往来し、指月道と呼ばれていた。険しい坂道を行き来する人馬の苦しみを見かねて舟木逢 …
八坂神社の境内にある「箏曲組歌発祥の地」の碑です。 天文年間(1532~54)のこと、山口の大内義隆卿は、卿から迎えた北の方を慰めるために、 しばしば都の公卿殿上人や楽人などを招いて詩歌管弦の遊びを催したが …
豊栄神社(とよさかじんじゃ)です。菜香亭のすぐ横にあります。また近くには今八幡宮、陸上自衛隊山口駐屯地があります。 毛利元就公を祀る神社で、もと別格官幣社であった。江戸時代長州藩主であった毛利氏は、萩城内に元就公を祀る社 …
安徳天皇西市御陵墓参考地(あんとくてんのうにしいちごりょうぼさんこうち)です。場所は豊田湖の一番北、俵山温泉にちかい場所にあります。 宮内庁書陵部 安徳天皇西市御陵墓 屋島で大敗した平家は、瀬戸内海を西に壇 …
狩野芳崖邸阯です。ここには石碑と土塀しか残っていません。旧山陽道の菊舎旧宅跡から少し西に入った所にあります。狭い抜け道にそった場所なのでなかなかわかりにくいところにありますね。私はすぐ近くに住んでいて、散歩している時に見 …
ダジャレみたいですが夕凪の夕なぎ公園です。夕なぎ公園とはよく名付けたものですね。夕方になると響灘に沈む雄大な夕日を見ることができますから。 夕なぎ公園は人工島の橋のたもとにあります。左に見えているのが人工島 …