萩藩新地会所址(はぎはんしんちかいしょあと)
元治元年(1864)12月15日、長府功山寺に潜居中の五卿に奇兵隊による挙兵を宣言した高杉晋作は、12月16日午前4時ごろまず最初に新地会所を襲撃しました。 厳島神社鳥居のすぐ横にこの石碑は建てられています …
元治元年(1864)12月15日、長府功山寺に潜居中の五卿に奇兵隊による挙兵を宣言した高杉晋作は、12月16日午前4時ごろまず最初に新地会所を襲撃しました。 厳島神社鳥居のすぐ横にこの石碑は建てられています …
上新地町にある厳島神社に行ってきました。 参道右の石碑。 平成4年6月17日の未明の火事で社殿が焼失しました。平成13年に本殿、平成19年に拝殿、翼舎が再建されました。なので建物はとても新しい …
桜山神社は厚生病院前の信号を東に入ったところにあります。標識がでているのですぐわかると思います。線路沿いに少し行くと左に一の鳥居が見えてきます。招魂場はこの鳥居から続く高い階段を登った上にあります。 下関攘 …
車の通りの多い国道191号線、JR下関駅に近いところにああります。 中国電力の敷地内に国道に向かってたてられています。 ここだけが異質な空間になってます。 長州藩を明治維新へと推 …
高杉晋作が身を隠したと伝えられている「ひょうたん井戸」です。伊崎町にあります。 ひょうたんらしき物も形ないので、ひょうたんというのは単なる名前なのでしょう。 前来たときも、金だらいはここにあり …
この高杉晋作の像は功山寺山門をくぐると右手にあります。 奥の駐車場からだと入ってすぐ左です。 高杉晋作回天義挙銅像 嘉永六年(一八五三)米艦四隻浦賀に来航して徳川三百年鎖国の夢破れ国論は支離滅裂我長州藩もま …
新地町にある高杉晋作終焉の地です。 こんなところで高杉晋作が亡くなっちゃったんですね。あたりは明るいのに、ここだけが暗い感じがします。 慶応2年(1866)6月からの四境戦争(第二次長州征伐) …
逆光で白っぽく写っていますが勘弁を。 吉田旧街道沿いにある真宗本願寺派のお寺です。 吉田には奇兵隊ゆかりの場所がたくさんありますがここもそのうちの一つです。 幕末時代は奇兵隊の屯 …
常関寺山門。 寛永五年(一六二八)領主、山内大隅守広通が建立し、長府功山寺第三世、三庭和尚を迎え開山とし、電光禅院と称したが、万治元年(一六五八)山内縫殿就通のとき寺号を常関寺と改め、さらに享保十五年(一七 …
下関吉田にある「法専寺の六地蔵」です。 この地蔵は幕末のころ、合宿していた奇兵隊の猛者が廃仏思想にかられ、首を切ったので「首切地蔵」とよばれている。(現地の説明板による) 今は首の中心に鉄棒を …