world where it disappears

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山陽小野田市の勘場屋敷に行ってきた。

「勘場」は藩政時代の代官所のことをいう。高泊開作築造時に舟木代官楊井三之允が起居した役宅である。作花家は天正7年(1579年)三代源兵衛のとき以来、代々庄屋、大庄屋を勤め、六代権左右衛門庄屋役中に開作工事に奔走した功によ …

おのだサンパーク

SC小野田サンパークは、2008年5月全面リニューアルでオープンしました。核テナントはスーパーの「フジ」です。また140店の専門店が入っています。2200台分の無料駐車場があります。   開業は1983年10月 …

山口市内を散策してきました。その13八坂神社内の築山跡

八坂神社境内にある築山跡です。 ここは大内氏28代教弘が15世紀中頃に築いたといわれる筑山館跡です。筑山館は教弘以後歴代当主の居館となったところです。中世の連歌師宗祇は「池はうみ こずゑは夏の 深山かな」と詠んでおり、こ …

山口市内を散策してきました。その13八坂神社の石碑

  八坂神社の境内にある「箏曲組歌発祥の地」の碑です。 天文年間(1532~54)のこと、山口の大内義隆卿は、卿から迎えた北の方を慰めるために、 しばしば都の公卿殿上人や楽人などを招いて詩歌管弦の遊びを催したが …

山口市内を散策してきました。その12豊栄神社と野田神社

豊栄神社(とよさかじんじゃ)です。菜香亭のすぐ横にあります。また近くには今八幡宮、陸上自衛隊山口駐屯地があります。 毛利元就公を祀る神社で、もと別格官幣社であった。江戸時代長州藩主であった毛利氏は、萩城内に元就公を祀る社 …

山口市内を散策してきました。その11龍福寺本堂下の発掘現場を見た。

大内氏31代義隆卿辞世の歌碑です。山門から鐘楼を通り本堂へ行く参道のの右側にあります。 大分20年(1551)重臣陶晴賢の謀叛により大内氏31代義隆卿は大内御殿から長門の大寧寺に逃れました。この時大寧寺住職異雪慶殊和尚の …

山口市内を散策してきました。その10龍福寺のしあわせの鐘

境内に入ります。参道の右に「しあわせのかね」があります。 この鐘は山口市大内地区にある「興隆寺梵鐘」を縮小複製したレプリカの鐘楼です。興隆寺梵鐘は大内義隆が享禄5年(1532)年興隆寺に寄進したもので、総高が189センチ …