大内文化
大内文化

山口市内を散策してきました。その13八坂神社内の築山跡

八坂神社境内にある築山跡です。 ここは大内氏28代教弘が15世紀中頃に築いたといわれる筑山館跡です。筑山館は教弘以後歴代当主の居館となったところです。中世の連歌師宗祇は「池はうみ こずゑは夏の 深山かな」と詠んでおり、こ …

山口市内を散策してきました。その11龍福寺本堂下の発掘現場を見た。

大内氏31代義隆卿辞世の歌碑です。山門から鐘楼を通り本堂へ行く参道のの右側にあります。 大分20年(1551)重臣陶晴賢の謀叛により大内氏31代義隆卿は大内御殿から長門の大寧寺に逃れました。この時大寧寺住職異雪慶殊和尚の …

山口市内を散策してきました。その10龍福寺のしあわせの鐘

境内に入ります。参道の右に「しあわせのかね」があります。 この鐘は山口市大内地区にある「興隆寺梵鐘」を縮小複製したレプリカの鐘楼です。興隆寺梵鐘は大内義隆が享禄5年(1532)年興隆寺に寄進したもので、総高が189センチ …

山口市内を散策してきました。その9龍福寺西門、石組溝、池泉庭園

龍福寺西門(にしもん)です。龍福寺本殿の西には墓地がありますが、その墓地の横を生け垣が囲っています。長い生け垣の中程にこの西門があります。これは再建されたものなので、ここから中に出入りできないよです。 館跡の西辺の調査で …

山口市内を散策してきました。その8大内文化の名残り龍福寺(大内館跡)

商店街から話はちょっと前後します。八坂神社から下竪小路へ向かって歩いて行くと山口ふるさと伝承センターがあります。そこを通り過ぎると左側に大きな案内板があって龍福寺の入り口があります。龍福寺は大内氏滅亡後、大内氏の館跡に毛 …

山奥にあるマムシ注意の大内氏遺跡・凌雲寺跡

史蹟 大内氏遺跡・凌雲寺跡です。凌雲寺は大内氏30代義興を開基とし、了庵桂悟を開山として永正4年頃(1507)この地に創建されたと伝えられている。廃寺の年月は不明であるが恐らく大内氏滅亡の後いつの時代かに廃されたものと思 …