其中庵 その1ふるさと小郡たずねある記100選その65
漂泊の詩人、種田山頭火が昭和7年9月、50歳の時から、昭和13年10月までの7年間住んでいたのが山口市小郡山手(やまて)にある其中庵です。 現在の家はふるさと創生事業として平成4年3月に復元されたものです。 …
漂泊の詩人、種田山頭火が昭和7年9月、50歳の時から、昭和13年10月までの7年間住んでいたのが山口市小郡山手(やまて)にある其中庵です。 現在の家はふるさと創生事業として平成4年3月に復元されたものです。 …
「分け入っても 分け入っても 青い山」 山頭火 句碑の前には徳利がおいてありますが、右半分が壊れているみたいです。それともこういうデザインなのでしょうか。 この句碑があるのは石ヶ坪山頂上です。山頭火句碑の向 …
八坂神社境内にある築山跡です。 ここは大内氏28代教弘が15世紀中頃に築いたといわれる筑山館跡です。筑山館は教弘以後歴代当主の居館となったところです。中世の連歌師宗祇は「池はうみ こずゑは夏の 深山かな」と詠んでおり、こ …
八坂神社の境内にある「箏曲組歌発祥の地」の碑です。 天文年間(1532~54)のこと、山口の大内義隆卿は、卿から迎えた北の方を慰めるために、 しばしば都の公卿殿上人や楽人などを招いて詩歌管弦の遊びを催したが …
豊栄神社(とよさかじんじゃ)です。菜香亭のすぐ横にあります。また近くには今八幡宮、陸上自衛隊山口駐屯地があります。 毛利元就公を祀る神社で、もと別格官幣社であった。江戸時代長州藩主であった毛利氏は、萩城内に元就公を祀る社 …
大内氏31代義隆卿辞世の歌碑です。山門から鐘楼を通り本堂へ行く参道のの右側にあります。 大分20年(1551)重臣陶晴賢の謀叛により大内氏31代義隆卿は大内御殿から長門の大寧寺に逃れました。この時大寧寺住職異雪慶殊和尚の …
境内に入ります。参道の右に「しあわせのかね」があります。 この鐘は山口市大内地区にある「興隆寺梵鐘」を縮小複製したレプリカの鐘楼です。興隆寺梵鐘は大内義隆が享禄5年(1532)年興隆寺に寄進したもので、総高が189センチ …
龍福寺西門(にしもん)です。龍福寺本殿の西には墓地がありますが、その墓地の横を生け垣が囲っています。長い生け垣の中程にこの西門があります。これは再建されたものなので、ここから中に出入りできないよです。 館跡の西辺の調査で …
商店街から話はちょっと前後します。八坂神社から下竪小路へ向かって歩いて行くと山口ふるさと伝承センターがあります。そこを通り過ぎると左側に大きな案内板があって龍福寺の入り口があります。龍福寺は大内氏滅亡後、大内氏の館跡に毛 …
商店街はまだ続いています。中市商店街の中心にあるのがデパートの山口井筒屋本店です。 山口井筒屋は2008年9月1日に、閉店した「ちまきや」に替わってオープンしました。 小さい頃から親しんだちま …